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この記事のみを表示するSHOP

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ゴールデンウィークに突入し少しはShopも暇になるかと思っていたのですが

なぜか今日も朝の開店と同時にShopの大きな駐車場には朝から夕方まで

1日中長蛇の列ができ、新学期も始まったせいなのか服飾関係の学生

さんたちも、ここ最近はとても多く来店されています

ハスクバーナの売り場にも今日は若い女性が来店されリミテット・エディションを

購入され、午後からは使用説明などで夕方近くまで刺繍やステッチを使っての

サンプル作りや説明などをさせて頂きました~ 今日Shopには販売応援で

ブラザーさんのインストラクターさんが来ていましたが・・・すみませ~ん

イノヴィスじゃなくハスクが売れちゃいました~

 
 
ところで名古屋の今日の気温は6月下旬並みの気温で今年最高の27,9度も

あったそうです  もう夏ですね♪

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この記事のみを表示するデザイナーSE テク二ック講習会

マシーン・エンブロィダリー











       ☆5月のハスクバーナ、デザイナーSEテク二ック講習会メニュー☆

マリー先生の1dayレッスン5月の作品が決まりました

開催日はまだ決定していませんが中旬以降に予定しています。

今回の作品 「蝶のバッグインバック」

オーガンジーをベースに3D刺繍のテク二ックやプログラムスカラップ、

フリーモーション、キルティングなどのテク二ックが学べます~

表布には花柄布をベースにし、バッグ内側には小物も整理できる

ポケット付きでとても可愛いいバッグインバックです♪


この記事のみを表示するハスクバーナ New

最新情報



ハスクバーナ バイキングの刺繍Compミシン デザイナ-SE リミテット・エディション版は

豊富なエンブロィダリーデザインなどが人気で世界中のマシンエンブロィダリーファンの

愛用者も多く刺繍ミシンでは世界最高峰に位置するミシンなのですが

さらにNewマシーンが coming soon 急接近で発進しそうです~


この記事のみを表示する庭木 剪定

今日の出来事















今日はゴールデンウィークの休みではなく、いつも休みを頂いている月曜日

急に暖かくなってきたせいか、毎年悩まされる庭木の剪定や、手入れのしていない

芝生が雑草畑になってきて大変な事になってきましたので、今日は早朝からハサミ

片手に木の剪定と草狩機を使い雑草の除去作業に・・手で雑草を抜くぐらいでは

おいつかないのです~

おまけに、まる子は持病の病気もあり直射日光下での作業は無理ということもあり

毎年一人でやらされています。


家の周りには毎年凄く伸びきる囲いの木なども剪定しなくてはいけないのですが

とても1日では無理なので、今日は玄関前付近と手入れの行き届いていない

芝生を刈り込んでしまい、午後からはホームセンターで庭園用五色石なんてものを10袋購入し

敷き詰めようと思いましたが10袋買っても写真のように一部しか敷き詰められませんでした

軽く200袋ぐらいは必要みたいでしたので、回りにだけ少し敷き詰めてみました~

手伝いの出来ないまる子は申し訳ないのか、いつもは手抜き料理ですが、

今日のお昼は久しぶりに手作り豪華料理をご馳走してくれました 

ということで今日はもうヘロヘロです~~


この記事のみを表示するアイザック・メリット・シンガー

アンティークミシン







 






アイザック・メリット・シンガーは1811年10月27日ニューヨーク

ピッツタウンで生まれました。シンガーは貧しいドイツ移民の8番目の

気短な性格で、シンガーは生まれてまもなく母が父と離婚して不幸な

少年時代を送りました。

その後シンガーの物語は彼がステージの上でシェイクスピアの役者で

あったときから始まります。シンガーの最初の夢は役者になることで、

彼は若い時には機械工をしていたのですが旅芸人の一座を作る為に機械工を

やめてしまい、シンガーはシェイクスピア劇の役者だけではなく、国中を

まわって歩く旅芸人の生活を愛していたといいます。後にミシン王と

なってからもシンガーは役者になりたいと思い続けていたそうです。

しかし旅劇団は失敗に終わってしまい彼は印刷屋で働くことになります

ここではすぐに活字彫刻機械を発明し、この機械をボストンの展示会で紹介

する為にジョージ・B・シーバーに資金援助を受ける事で実現しました

この展示会は決して成功をおさめたとは言えませんでしたが、シンガーの

機械のアイデアを紹介することができました。

この展示会場になったオーソン・C・フェルプスの工場には、たまたま

ブロケット・アンド・レロー社のミシンの修理が来ていて、シンガーは

このミシンの欠点がシャトルが1回転するごとに糸がねじれてしまい

それが故障の原因になると指摘しました。フェルプスはシンガーに活字彫刻機械

の製造をやめて、ミシンの改良、発明をするように進めました。

そしてシンガーはシャトルが円を描いて動くよりも直線で動くほうが良いと

考え、ミシン針も垂直に動くまがった針から真っすぐな針に交換しました。

シンガーの確かな力で計画はうまくいくことになります

シンガー、ジーバー、フェルプスの3人はパートナーシップを結んで

シンガーはジーバーの最後の財産40ドルを用意してくれ、プロトタイプの

ミシンを作る為にジーバーの最後の財産を受け取りました

シンガーたちは1日に3~4時間眠る以外は昼も夜もプロトタイプのミシンを

完成させるために働き続けました

そして1850年9月、ついに完成したこのミシンは直線、曲線、角縫いも

出来るミシンを完成させました。

このミシンにアメリカ特許が1851年8月12日に特許ナンバー8294号として

認可されました。

このミシンはアレン・ベンジャミン・ウィルソンの発明した家庭用ミシン

よりもはるかに大きく家庭用ミシンと言うよりも工業用的に説計されていました

このミシンの箱は足踏みミシンのテーブルにもなり、かかととつま先を

使って動かす足踏み板を操作する事で、両手を使っての仕事も出来るように

なっていました。この足踏み板にも特許をとるべきだと言う声もあったが

その時点では足踏み板には、長い間使用されていたものもあり特許をとるには

至りませんでした。


1851年に特許を得たシンガーのミシンは、当時どの製品よりも実用性は高いもの

でした。またシンガー自身もすばらしいセールスマンでもあり、それは彼が

以前役者としての経験も生かされていた事に違いありません。シンガーはこの

ミシンを積極敵に人々に紹介し、売り込みにも力を注ぎ広告宣伝などにも力を

注ぎ込みました。

しかしシンガーのミシンの生産、市場での成功を聞きつけたエリアス・ハウは

自分の考案したミシンの盗作で特許権の侵害にあたるとして、特許権の使用料

を迫ったが、シンガーは支払いを拒否しミシンの販売を続けた。

シンガーはビジネスパートナーにニューヨークの弁護士エドワード・クラーク

を選びI・M・シンガー社を設立しました。

裁判所はハウの特許権の侵害に対する訴えを認め、その後シンガーは1854年の

自分の商品をハウの特許下に入れ、すでに販売していたミシンについては

特許使用料としてハウに1500ドルを支払うことで和解成立しました。

これがミシン戦争とも呼ばれた、アメリカ資本主義史上の初期においての

最大の特許権紛争となりました、


1858年シンガーは一般家庭用ファミリーミシン、タートルバックの生産にかかりました

このミシンは姿が亀の甲の背に似ている為に名前が付けられました。工場の関係者たちは

このミシンをグラスホッパー(バッタ)とも呼んでいました。

しかしこのミシン、シンガーの1号機になるプロトタイプに比べ重量も軽過ぎると

言う難点もありました。その後さらに改良され1859年から1865年まで生産された

トラバースシャトル・レターA型に移行されて行きました、そして1865年からは

シンガー社の歴史の中でも画期的なミシン、ニューファミリーが生産され、このミシンは

1882年までには400万台以上が世界各地で販売されました

シンガー1号機

パーペンデキュラーアクションミシンとも言いました

(パーペンデキュラとは上下運動の意味)
1855年5月15日、フランス パリで4年前に開催されたロンドン万博に続き、2度目の
万国博覧会が現代西欧文明の粋を結集されました。工業機械類も多く出品されたなか
アイザック・メリット・シンガーの開発した連続的に縫えるミシンに、栄ある金賞が
あたえられました。


この記事のみを表示するエリアス・ハウ・ジュニア 本縫いミシンの発明

アンティークミシン




本縫いミシンの原理発明 (アメリカ)

アメリカでミシンの発明のかぎをときあかした人がエリアス・ハウです。

1846年9月10日にアメリカ特許としてハウのミシンに4750号が認可されています

ハウはマサチューセッツ州スペンサー近くの農場に生まれました

幼い頃に機械工になるために家を離れ1830年終わりにはボストンのアーリー

ディビスの機械店で働いていました。その時ディビスたちが布を縫う機械の必要性

について話しあっているのを耳にし、ミシンを発明したものは大金持ちになるという

約束がされている会話を聞き、ハウは頭の中で布を縫う機械を発明することを決心し

彼の友人であるジョージ・フィッシャーに資金援助をたのみミシンの試作、発明に

努力を続けました。

彼は最初、妻の針仕事の手の動きを見て機械に取り入れてみましたが失敗に終わり

最終的には上糸と下糸の2本の糸を絡ませて縫う本縫いミシンを完成させてしまいました

下糸は船の形をしたシャトルにボビンに巻いた下糸を入れて縫い上げるという物

でした。

このミシンは1834年に作られたウォルター・ハントの考案したミシンと同じような

ミシンの原理が取り入れられていました。

1844年に試作品として完成したミシンは1846年に特許が認可されました。ハウは

このミシンを市民にもわかってもらうためにボストンのクインシーホールの衣服会社

にミシンを持ちこみ、彼のミシンともっとも腕の良い5人のお針子さんと縫物競争を

行いました。

この競争の審判をした仕立屋達はミシンによる縫物のほうが縫い目も綺麗でしっかりと

縫えていると判断を下しました。

ハウのミシンは1分間に250針縫うことが出来、手縫いのおよそ7倍の速さでお針子たちに

圧勝してしまいました。このようなミシンの宣伝やデモンストレーションをしたにも

かかわらずミシンはまったく売れませんでした。この理由には当時ミシンは高価で

1台300ドルぐらいの価格になってしまったのと、仕立て屋やお針子たちが自分たちの

仕事を奪われるのではないかということを恐れたためなのでしょう。

ミシンの発明に成功したものの、ミシンが売れずに失望したハウはイギリスがこの

すばらしい発明を受け入れてくれるのではないかと思い、弟のアマサ・ハウにイギリスの

市場を開拓してくるようにと彼とミシンをロンドンに送り込みました。

その後ハウの特許はコルセットメーカーのウィリアム・トーマスが彼の特許に250ポンド

を支払いイギリスでの特許権を譲渡しました。1874年にはハウ自身もロンドンに渡り

コルセットの製造向きミシンの改良をしましたが、わずかな週給を受け取るだけだったので

その生活は楽なものではなく、その後ハウは無一文になってしまい特許書とモデル機を

アメリカ帰郷のために質屋に入れてしまいました。

1849年にアメリカに帰国するとハウのミシンの特許が勝手に取り入れられたミシンが、

アメリカ各地で使用されミシンの製造なども初まっていました、彼は自ら発明し努力

をして完成させたミシンの特許を守る為に、特許訴訟の法廷闘争をしていくことに

なります。後にハウの特許を勝手に使用したシンガーとハウがこの特許権争いで

アメリカ資本主義史上の初期において最大の闘争とまで言われた特許権紛争が展開

されて行くことになります。これを今でもミシン戦争と呼ぶほど史上に残る激しい

争いでした


次回はアイザック・メリット・シンガー(シンガーミシン)の逸話でもお話します

この記事のみを表示するベビーロック オーバーホール

マシーン工房















先日からお預かりしていたベビーロックのオーバーホールに

今日は朝から取り掛かりました。

モーターの力だけではロックミシンが回転しない!、プーリーを

手で回転させてもとても重たい状態という事で、早速分解してみると

下軸に問題がありそうでしたので、取りあえず送りカムなどある箇所も

分解し、下軸を抜いてみるとあまり使わずに放置されていたようで

古くなったミシン油などが下軸メタル内で癒着してしまっているのが

原因のようでしたので、下軸を抜き取り、軽く#400ぐらいのペーパー

で磨き上げて組み付けると先程までは固くて回らなかったハンドプーリーも

指1本でも回せるぐらいに回転してくれるようになりました~

送りカムも今後の事も考え交換させて頂き、各部の注油や調整も済ませ

無事に今では使用する方も少なくなってしまった2本糸仕様のベビーロック

BL2-205エースのオーバーホール完了しました。少し重量もありますが

この時代のミシンは作りも良く、何と言っても音がとても静かです~

さすがロックミシンのトップシェアーを誇る 衣縫人、糸取物語でも有名な

ベビーロックです。 褒めすぎかな~(笑)


各メーカーのロックミシンのネーミングは ↓

㈱ ジューキ  ベビーロック

JUKI ㈱    JUKIロック

ブラザー    ホームロック

JANOME     ドリームロック

この記事のみを表示する長野キルトウィーク2008

キルト展















行ってきました! 今日から開催の長野市ビックハットで始まった

キルトウィーク長野2008へ・・


天気予報があたってしまい、今日は朝からどしゃ降りで出発も少し遅れてしまい

8時30分頃に長野を目指し自宅を出ました。

今日の長野行きコースは東海北陸自動車道から中部縦貫道終点の飛騨高山まで

高速を利用し、高山市内を抜け平湯温泉から安房トンネル、上高地、白骨温泉のある

R158号を峠越えして梓川沿いの安曇の風穴の里で休憩、車も少し休ませてやり

少し早めの昼食も軽く済ませた後、長野自動車道の走る松本ICまで向かい

再び高速に乗車し上越自動車道、長野ICまで超高速で車を走らせましたが

時間はすでに1時、駐車場は運良く関係者駐車場の玄関前に駐車できました

こちらの長野市ビックハットには今回3回目となるのですが、初めて来たのが

1998年開催の冬季長野オリンピックのアイスホッケーの競技観戦で、

2回目は第1回目の開催となったキルトウィーク長野でした~

早速会場に入場しましたが、やはりいつもIQW横浜のパシフィコ横浜の

会場を見ているせいかビックハットは小さく作品の数やマーケットブースも

とても少ないのですが、逆に作品などはゆったりと見学でき、IQW横浜の作品

コンテスト受賞作品やキルト作家さんのトークショーなどもあり

今日は長野キルトウィーク会場で1日楽しんできました~


マーケットブースではアンティーク風糸巻きコマを購入してしまいました。

帰りの長野市内には26日開催の聖火ランナー警備の為か警察の護送車の

大型車両が続々と数十台中心部に向かって行きましたよ。

帰りには松本城を少し見学して、長野自動車道、松本ICから高速に乗り

中央自動車を経由して無事今日も帰ってきました♪

本日の走行距離 570Km


この記事のみを表示するデザイナーSE 1dayレッスン

shop








今日はハスクバーナ、デザイナーSEのユーザーさん方々を集めての

マリー先生の1dayレッスン(お花の春色バック)を開催しました。

今回はミニ講習スペースでのレッスンとなりましたので先着5名様限り

とさせて頂きましたが、キャンセル待ちなども多数ありましたので

次回からの1dayレッスンはイベントスペース講習会場に変更しようと

思います。

今回はハスクバーナの刺繍デザイン、サマーフラワーとキルティングブロックの

デザインを午前中に刺繍し、午後からはスカラップ縫いやギャザー押さえ等を使って

フリルなどを完成させ、他にもアップリケステッチ、プログラム縫いを

使ってのオリジナルステッチ作りなども体験して頂きました~


さて明日からは、あいにくの雨模様になりそうですが長野キルトウィークが始まります

新緑の山を越え谷も越えて長野ビックハットに行ってきます~~


この記事のみを表示するキルトハーツ23th

キルト展

















今日は豊田市でキルトサークルを発足されてから23年目をむかえられる

キルトハーツさん主催の「キルトハーツ23th」キルト展に出かけて

きました。

会場となる豊田市美術館は産業文化交流都市を目指す新しい施設として

1995年にオープンし、館内は白を基調に設計され明るくシンプルな空間

では今回キルトハーツさんの素晴らしいキルト作品が数多く展示されて

いました。

受賞作品や雑誌掲載された作品の中には高齢者さん製作の目を見張られる

ような受賞作品もあり、その作品の素晴らしさにはしばし驚かされました。

今日は朝一番での入館でしたが、出版社さんなどのメディアも朝早くから

取材に見えていて、先生や生徒さんが次々と来場されるお客さんの対応に

午前中は追われていました~ とてもいい環境でのキルト展でしたよ♪

会場中央ではキルトで支援活動などをされているQuilt21さんの活動

案内なども紹介されていて、来場者の方々も興味深く見学されてました 



お昼過ぎにはショップに戻り、明日開催のハスクバーナ デザイナーSE

テク二ック講習会の準備などを済ませましたが、今日も気温は25度を超えて

いるのかと思うほど暑い一日でした・・


この記事のみを表示する長野IQW&キルトハーツ23th Quilt展

キルト展



先週から名古屋で「キルト日本展」が開催されていたためか

こちらのショップも連日、日曜日かと思うほどの来店者さんでしたが、何とか

暇をみつけてキルト日本展の会場JR高島屋にも行きたかったのですが、なかなか

時間が取れなくて忙しく、キルト日本展も今日が最終日の開催のようでしたが、

今日は上田葉子先生の新規の講習日でしたので朝早くからミシンの

セッティングなどで一日講習会場に参加していましたので残念でしたが、

今年のキルト日本展は断念しました。


今週は長野IQWが24日~26日までとキルトハーツさんの毎年豊田市美術館で

盛大に開催されるキルト展(22日~27日)には出かけようと思います

キルトハーツ23thパッチワーク展は明日から開催されるそうですので

明日は豊田市美術館に、24日は桜も満開になった長野ビックハットに

出かけてこようと思います~ 季節もいいので寄り道がふえそうで~す♪


この記事のみを表示する本縫いミシンの発明 1834年

アンティークミシン

アメリカ  (Walter Hunt)

1834年アメリカの発明家ウォルターハントによって本縫いミシン

(ロックステッチ)が発明されました。

本縫いとは上糸と下糸の2本の糸が絡みあってできる縫い目で

チェーンステッチに比べて丈夫で縫い目がほどけることなどもない為

現在の衣服などにもちいられているステッチです

ハントのミシンは、アイポイント針とシャトルを使ってロックステッチを

なしとげました。約10年後に活躍したエリアス・ハウのミシンの構造にも

似たところがありました。ハントはミシンの発明ではあまり多く名は

知られていませんが、ハントは発明家であり製品化した商品を作る事では

なかったのです。

ミシン以外の発明でもリンネル紡績機、ナイフ研磨機、より糸機、釘製造機

子供用三輪車、連発銃、道路掃除機、勉強用ランプなどがありました。

ハントの仕事に対する努力は彼の発明した安全ピンによっても証明されます

15ドルの借金を返す為にハントは3時間で安全ピンを電線で作ってしまい

その特許を400ドルで売ってしまったのです

その後ハントのミシンは、送りの構造に問題があり縫い目を同じ大きさに

保てないなどで、ハントはミシンに対する興味を失ってしまい特許を取らずに

権利化もされませんでした。


次回はアメリカでミシンの完成品のかぎをときあかした、エリアス・ハウの

お話でもします~♪


この記事のみを表示するSINGER 101種型ミシン S3年製

アンティークミシン


今日はアメリカSINGER社エリザベスポート工場で1928年に製造

されたシンガー101種型水平全回転釜仕様の直線ミシンの点検

調製をしました、とても珍しいミシンですので少しご紹介します














電動タイプのミシンなのですがモーターベルトは使用しないダイレクト

駆動モーターを搭載しているのですが、このミシンの驚くのは

ミシンベッド部分が何と取り外せてしまうのです。カバーを

取り外すとミシンの心臓部にあたる釜や送り装置が一目瞭然に

見わたせてしまい、油芯が各パーツ部分に油を送り込んでくれる

半自動給油装置も組み込まれ、底部は鋳物で覆われています

昭和初期に、ほんの数台日本でも取り扱われた機種でとても貴重な

ミシで、まずはお目にかかれないほどの数少ないミシンです。


全ギアー駆動式ミシン101種1台あれば仕事が速く仕上がり、家が

建つと宣伝されたそうです、このミシンの当時の価格は6畳2間の

家が建つほどの高価なものでした、当時即金で450円也

シンガー社もこの年代頃あたりまでは良いミシンが多くあったんですね~。


この時代ののミシンは壊れるような所もなく、油さえ差していれば

一生どころか2~3代先まで使えそうですね~~ 

この記事のみを表示するミシンの原理発明 実用化されたティモニエのミシン

アンティークミシン








ミシンの原理発明は先回ご紹介した、イギリスのトーマス・セント

による革製品を縫う為の機械でしたが実用化には至らず書面での公式

記録による記録となっています

今回は実用化された最初のミシンのご紹介をさせて頂きます

実用化されたミシンの記録としては、フランスの洋服仕立業

バーシレミー・ティモニエによって考案されたミシンで、この機械は

かぎ針を使用し布地の下にできた糸のループをひっかけて引き上げるという

チェーンステッチを完成させたものになりました。

このミシンに対してフランス特許が1830年7月17に認可されています

ティモニエのミシンは、あまりスピードが上がるものではありませんでしたが

最終的に改良された1845年のミシンでは1分間に200針を縫うことが

できました。

特許を与えられたミシンは、ボディーの上から下がっているアームに垂直に

針が付き、現在の直線押さえのような物で布を押さえ、縫っていくという

今日のミシンに似た近い機械に完成されていました。

ティモニエは80台のミシンを製造し、フランス軍の軍服を作る為に服飾工場

での生産を始めました。しかしパリの服職人たちは自分たちの職を奪われるのでは

ないかと生活を心配しティモニエの工場に忍び込み、開発されたばかりのミシンを総て

破壊してしまいました。

こうした新しい機械に対する破壊運動はラダイツ運動とも呼ばれミシン以外の

機械等も対象に破壊されてしまうという時代でもありました。


この記事のみを表示するULT21オーバーホール

マシーン工房








昨日brotherの刺繍ミシンULT21の修理依頼があり、症状を確認させて

頂いたら前回オーバーホールしたUKT21と同じ症状で超高速回転で

フリーモーションをしていたら突然ミシンが止まってしまい、

その後動かなくなってしまったとの事で確認して見ると、手でミシンを

回そうとしても重たくてまったく動かない状態になっていました。


早速分解してみると前回修理した他のULT21と同じ箇所のカマ軸シャフト

が焼き付いたような異常があり、取りあえず糸切ユ二ットを取り外し釜を抜き取り

カマ軸の研磨とカマ軸ギアーの清掃グリスアップ及び注油などを済ませると

とても軽く回転してくれるようになりました。組み付け後はカマのタイミング

調製と針棒クランクに絡み付いてた糸なども取り除き、上糸感知のある

糸取りバネ付近の分解清掃などもさせて頂き、無事にオーバーホールが

完了しピッカピカの新品のようなULT21に戻ってくれました~
 

明日は見てビックリのアンティークミシンの珍品ですが名機アメリカ製の

シンガーミシンのオーバーホール、日本には数台?2~3台しかないかも

しれないミシンの複元修理にとりかかります♪

この記事のみを表示するB C S Brother Communication Space

アンティークミシン


昨年から拡張工事されていた、コミュニケーションスペースの完成の連絡を受け、

今日は朝からブラザー工業本社に隣接されているコミュニケーションスペース

に訪問してきました。







拡張されたヒストリー&テーマゾーンに入ると、驚く事に、何とそこには世界最初の

ミシン1790年製トーマス・セントのミシンが、その隣にはフランスで1830に実用化

されたバーシレミー・ティモニエの木製式ミシンが!そのまた隣にはアメリカを

代表するエリアス・ハウの本縫いミシン1846製が・・そのまた隣には

アレン・ベンジャミン・ウィルソン(後のウィラー&ウィルソン社)の1850年

回転釜の小型本縫いミシンまでもが展示されていました







サイエンスミュージアム工房で複刻されたものもありますが、セントのミシンは

以前にフランス リヨンにあるティモニエ記念館でもお目にかかりましたが、

この複刻モデルは世界でもサイエンスミュージアム、ティモニエ記念館と今回拡張

オープンされたコミュ二ーケーションスペースでしか見られない世界に3台しか現存しない 

ミシンです。


 





記念モデルの次のスペースにはシンガー社の第1号機モデル(パテント入りの本物)

とニューファミリーキャビネットモデルなども展示され、その奥の壁には

今回ご協力させて頂いたアンティークミシンがセカンドフロアーからも

眺められるように整然と並べられていました。

入館時に電子タグが借りられ、テーマゾーンのテーブル上にあるスクリーン

にタグを触れると個々のミシンの情報や拡大写真などもみられるハイテクな

技術設備も導入されていました。

ここまでの発達期のミシンが見学できるのは世界でも、スミソニアン協会、サイエンス

ミュージアム、ティモニエ記念館に次ぐ世界でも数少ないSewingu Machineミシン博物館とも

いえます。










ミシンで仕立てられた1865年のドレスなども展示され、定期的に展示作品なども

入れ替えされるそうです~


さすがグローバル企業 at your side ブラザーさんでした♪


 













ガラスごしに緑と光が注がれる建物の外には100周年を迎えたbrotherの看板が

輝いていました。

ブラザー コミュニケーション スペース ホームページ

http://www.brother.co.jp/bcs/


この記事のみを表示する春の高山祭り

1dayドライブ




























先週あたりの週間天気予報では今日14日月曜は雨のはずだったのですが

朝目覚めると快晴ではありませんでしたが、午後からは天気も回復

し晴天になるとの事で・・!高山に春を告げる祭典 春の高山祭りに

出かけてきました。

飛騨高山の伝統行事になる高山祭りは、春の山王祭りと秋の八幡祭りの

二つをさす総称だそうです

毎年14日と15日に上町で行われる春の高山祭りは旧高山城下町の南半分

の氏神様である日枝神社の例祭で貴重なからくり奉納や屋台の曳き揃え

古式ゆかしい祭り行列など、絵巻物を広げたような絢爛たる風景が町を

彩ります。

今日は屋台の曳き揃え、からくり奉納など見学してきましたが、時間が

あれば山王祭の魅力とも言われる100個ほどの提灯を灯した屋台が町を

巡り、曳き別れ歌「高い山」を歌いながら各屋台蔵へと帰っていく

光と闇の幻想的な夜祭の風景も楽しみたかったのですが・・残念~~


高山祭りは明日15日も開催されていますので是非おでかけしてみてください♪


帰りは路は飛騨清見へ抜け、せせらぎ街道の自然を楽しみながら 

無事今日も帰宅できました~

本日の走行距離 250Km 


            

この記事のみを表示するミシンの原理発明

アンティークミシン








ミシンはいつ頃、どこで、誰によって発明され誕生したのか??

近年まではミシン発祥の地がイギリス、アメリカ、ドイツ、フランス

の4ヶ国の国々の見解が異なるというありさまなのでしたが

1970年以降にようやくミシン(ソーイング・マシーン)に対する

世界的な視野にもとずき研究が進められました。

ミシンの発明は決して一つの原理から順序正しく発展したわけではなく

個々の変則的な発展過程が、ある時期を境に大きな潮流となって集結し

世界中に拡散、普及していったという様相を呈しています。


公式記録として記録されているミシンの発明はイギリスの家具職人

トーマス・セントが考案した革製品を縫う為の機械が、世界初の

ミシンとして1790年7月17に英国特許1764号として認可されています

しかしセントが考案した機械の図面は1873年まで見落とされていました。

この年にイギリスのミシン製造者ウィリアム・ニュートン・ウィルソン

が特許事務所で偶然にもセントの機械の図面を発見し、この図面を基に

機械を再現し1878年のパリ万博に出品したことで、ミシンの原理発明は

それより88年も前に発明されていたことが明らかにされました。(写真最上部)

しかし88年を過ぎたこの時代には、現在のミシン基本構造が実用化

となりつつあった状況からセントの考案した機械は実用的には不完全

な物としての見解が多かったようです。

19世紀初頭にはヨーロッパで盛んに作られていたチェーンステッチで

形作られる刺繍を機械化しようとする試みがドイツ、フランスを舞台に

登場しました。(写真2枚目バーシレミーティモニエのミシン)


アメリカでは世界各地でミシンの考案を続けられている中、1832年に

上糸、下糸を使う本縫いミシンがニューヨークの機械工、ウォルター

ハントによって発明されましたが、曲線が縫えないなどの決点もあり

ハントはミシンに対する興味を失い特許を所得せずに権利を売却して

しまいました

その後このミシンを実用化したと言われるのがエリアス・ハウです

ハウのミシンは上糸、下糸を使う本縫いミシンで、1分間に250針縫え

手縫いの7倍の速さで縫うことができ1846年には特許を所得しました。

1851年にはシンガーも本縫いミシンを発明し製品化されたミシンが

市場に出始めた頃にエリアス・ハウから特許侵害に当たるとして訴訟

を起こされます。これがアメリカ資本主義史上の初期において最大の

闘争とも言われた特許権紛争が展開されました(写真3枚目エリアス・ハウのミシン)

シンガーはこの特許権争いに完全敗訴し1万5000ドルを支払う事で製造販売権

を何とか所得できました、これを「ミシン戦争」と呼ばれるほど史上

に残る激しい争いでした

同じく1851年には徳川十三代将軍に献上したミシンの製造者でもある

アレン・B・ウィルソンが今のミシンの原型ともとなる回転釜で特許を

所得し1854年には同じく現在のミシンの送り装置の原型ともなる四連動

送り装置も発明し1800年代後半までは主要企業の位置を占めていました

後にシンガーに吸収されましたが、昭和初期頃までの話ですが、世界のシンガー

と呼ばれたのもウィラー&ウィルソンの技術があっての事でした。

19世紀末にはアメリカでは150社を越えるミシン会社があり全世界に向け

アメリカ製のミシンが20世紀初頭まで販売展開されていました


この記事のみを表示するハンドメイド トートバック

ハンドメイド リネン・クラフト




完成♪ ラクラクソーイングで裏付のトートバック作ってみました

今回はミシン刺繍なしですが、アクセントにレースとくるみボタンを

使ってみました~~


この記事のみを表示するHusqvarna SE定期点検

マシーン工房




今日は2年ほど前に購入頂いたミシンの修理と点検依頼があり

午前から早速修理にとりかかりました

刺繍時に糸がひっかかる事がよくあると言う内容の修理と

購入後一度も点検もしていない事もあり今回はオーバーホールと

針折れ時に傷ついた針板交換と、大釜内部にやはり針折れ時に

ついたと思われる大きな傷の修復をさせて頂きました。

こちらのユーザーさんは刺繍編集ソフト(プロフェッショナル)

を利用しオリジナルの刺繍デザインなどを取り入れた商品をネット

販売やイベント会場などでも販売されているために、ミシンは

刺繍オンリーで使用される事がほとんどなのですが、2年

間使用されているわりにはミシンの内部も以外と綺麗な状態でした

修理完了後の刺繍テストでも問題なく、今回は針折れ時のカマ周辺

の傷などが原因だったみたいです、

この記事のみを表示するミシンの歴史 遣米使節の寄り道

アンティークミシン












前回のミシンの歴史に続き、今回も日本から見るミシンの歴史についての逸話を

ご紹介させて頂きます

ペリー来航、そしてハリスの条約交渉という難問が続き、開国を

めぐって風雲急を告げるという幕末の世相でしたが、1860年江戸幕府は

日米修好通商条約批准のため遣米使節をアメリカに送ることになります。

主艦ポーハタン号には正使(全権大使)、新見豊前守正興以下の使節団

が乗船し、一方その護衛艦、咸臨丸には軍艦奉行として木村摂津守、

艦長、勝安房守(海舟)、通訳、中浜万次郎(ジョン万次郎)以下が

乗船するという堂々たる陣容で出航しました

一行は横浜を出て一路サンフランシスコを目指したのですが航海の途中

大暴風雨に見舞われ主艦ポーハタン号はやむなくホノルルに寄港しました

その後一行は無事サンフランシスコに入航しますが、正史一行を乗せた

主艦はパナマを経てワシントンに向かい咸臨丸はこれには同行せず、破損

した船体修理のためメア・アイランドに寄港して休暇をとることになります

正史一行はワシントンのウィラードホテルに滞在するのですが、そのホテルの

一室に置かれていた足踏み式ミシンをアメリカの女性が使って見せてくれ

ました。

その様子を描いた絵が残っています、この絵はホテル専属の肖像画家が

木炭ペンを使って描かれたものですが、その絵の下には英文で説明が明記

されており、それには奇怪な風俗をした日本人がウィラードホテルのランドリー

ルームでウィラー&ウィルソン社製ミシンを使っている女性を熱心に見ている

ところとあります、

奇怪な形のミシンに見とれている侍たちが羽織、袴にちょんまげを結い、腰には

2本の刀を差している自分たちの風体を珍妙なものに見られていたという

ほほえましい光景があったのです。

1860年4月3日ワシントンにおいて通商条約の批准が行われ正史一行は帰国の途に

就きました。正史一行と別れ先に帰国した咸臨丸では、通訳を務めた中浜万次郎が

写真機とウィラー&ウィルソン社製の手回しミシンを持ち帰っています、

アメリカでも手工業から機械工業への移行期でした、万次郎はそのアメリカの

文化を日本に伝えようとしたのでしょうね・・・


この記事のみを表示するデザイナー1 オーバーホール&Ver,Up

マシーン工房










先日ショップにオーバーホール依頼の為お持ち頂いたハスクバーナの

エンブロィダリーミシン、デザイナー1のオーバーホールに昨日午後から

取り掛かりました。こちらのショップでの購入ミシンではないのですが

キルターさんでもありましたので今回はお預かりさせて頂く事になりました。


分解してみると天秤クランクにはメタリック糸など複数の糸絡みなどと

自動糸調子のテンション部などにも糸が挟まりこんでいました

少し時間がかかったのがミシンのメカ部の心臓部にもなるカマ周辺の汚れ

と糸クズなどや布ホコリがカマ軸シャフト内に入り込んでいた為に、ミシンの

回転が少し重たくなっていました、最新の機種はカマ軸上部には誇り除けカバー

が装備」されていますのでこのような心配はなくなっています。

このミシン初期型のデザイナー1という事もあり5年間は使用されていると

思われるミシンですので、それなりに内部は凄い状態になっていました、

とりあえずカマ軸シャフトなどを分解清掃組み付け、高さ調整 カマ軸ギアー

のバックラッシュ調製、タイミング調製などを基準値に戻し組み付けると

回転音もハスクバーナ独特の優しくスムーズな回転音になり、糸調子不良も

オーバーホール後は、とても良い状態の糸調子がとれるようになりました

バージョンも旧バージョンのままアップグレードがされていませんでしたので

最新バージョンのVer2,2にアップデートして今回も無事オーバーホール完了と

なりました♪

この記事のみを表示する雨の京都 桜 散策

1dayドライブ
























今日は京都のお花見散策に円山公園付近と高台寺、知恩院、清水寺

方面に出かけてきました、気になっていた天気でしたが、早々と11時頃

からは雨も降りだしてきましたが、雨の京都もなかなか情緒がありました~~

まずは国指定の名勝で、もともとは八坂神社の鏡内にある円山公園に到着しました、

祇園枝垂桜を拝見させて頂き、次に向かったのは秀吉とねねの寺としても有名な

高台寺に、重要文化財にもなっている霊屋には華麗な蒔絵が施され高台寺蒔絵とも

称され、ここには今もねねが眠っているそうです。

高台寺からは二年坂から三年坂に抜け両国三十三箇所の霊場の第十六番目礼所

となりユネスコ世界遺産にも指定されていて京都の観光名所としても知られて

いる清水寺周辺に向かいましたが、ドシャ降りの雨の中にもかかわらず

凄い観光客で賑わっていました、今日の雨で桜も今日が最後になりそうでした

続いては浄土宗の総本山、知恩院に向かい京都三大門の一つになる国宝の

知恩院三門をくぐり、急な石段を上がった先の台地には壮大な本堂が出向いて

くれました。徳川三代将軍 徳川家光によって建立された、こちらの本堂も

国宝に登録されているそうです


今日はあいにくの雨模様でしたが、湯豆腐料理も頂き久しぶりに気分もリフレッシュ

できました~~♪


本日の走行距離 330Km 何だか麻婆茄子豆腐っておいしそうで気になります~(笑)  

この記事のみを表示するミシンキルトでトラベルポーチ

ミシンキルト






中道佳子先生の大好評のミシンキルト体験セミナーも

午前、午後の部合わせ20名の方が今日は受講され

限られた時間内でのセミナーとなりましたが、フリーモーション

テフロンフットを使用してのビニール素材のソーイングテク二ック、

アップリケ、ファスナーなどなどのミシンテク二ックを利用し、

とても可愛い、中の見えるトラベルポーチを皆さん製作されていきました♪


この記事のみを表示するミシンキルト 1dayセミナー

最新情報







今日ショップは定休日でお休みでしたが、キャンセル待ちもでてるほど人気の

中道佳子先生のミシンキルト1dayセミナーが、いよいよ明日4日に開催されるために

今日5時頃からは会場となる教室の準備やミシンのセッティングなどの作業もあった関係で

夕方近くまでは4月1日から開催されているQUILT VILLAGE展の会場になる

愛知芸術文化センターにおじゃまさせて頂きました。


会場のアートスペースG室は12階にあるフロアーなのですが、なんと

フロアーを出ると12階なのに屋外庭園の散歩道などもありましたので、

屋外のベンチでお茶なども頂き夕方近くまで今日もおじゃましてしまいました。


4時過ぎには明日の1dayセミナー準備の為に、教室に戻りました 

前回までの教室ではデザイナーSEを使用しての講習がほとんどでしたが、

今後キルト関連の講習にはハスクバーナの新機種になるキルターズミシン

サファイア870Quiltに大型クリアーテーブルなども取り付けての講習に

なっていくようです。

今回も明日の参加受講者様20名の台数分の10台すべてを新機種となるサファイア870Quiltで

取り揃えました。自動糸切り装置もあるしロングアームでフルフラットなテーブル付

ですのでラクラク気分でミシンキルトを楽しんでもらえそうです~♪


この記事のみを表示する天璋院敬子 篤姫様

アンティークミシン






久しぶりにミシンの歴史に関するご協力依頼が某放送局からあり、

10年程前に研究論文としてまとめてどこかにしまい込んでしまっていた

「ミシンの歴史とミシンの発展」の原本を久しぶり引き出してきました

今日は簡単になりますが日本でのミシンの歴史を少しご案内しようと

思います。


我が国、日本で初めてミシンが紹介されたのは嘉永6年1853年に江戸湾の

浦賀沖に東インド艦隊の軍艦4隻を率いて現れたアメリカのペリー提督が、

江戸幕府に開国を要求し、その翌年にあたる1854年安政元年に横浜に再上陸

した際に時の13代将軍、徳川家定にめずらしい品物を献上し、その数々の中に

当時アメリカ最大のミシン製造会社ウィラー&ウィルソン社の豪華な足踏み

ミシンがありました。アメリカ本土でも1850年頃と言えばミシンが商品化され始めた

年ですのでぺリー提督はアメリカ本国でもまだまだとても高価なミシンを将軍の

奥方、篤姫様にプレゼントされたわけで、我が国日本で初めてミシンを使用されたのが

徳川家定の御台様、天璋院敬子(スミコ)篤姫様でした。


この事情などは1862年のニューヨーク新聞にも先の将軍の御台様に献上した

ミシンは御台様の大変気に入るところとなり、その返礼としてウィラー&

ウィルソン社に金糸、銀糸で豪華な綾織の日本の織物が贈呈され、同社では

賓客用ショールームに、この珍しい日本の美術品が装飾展示されていると

あります。まだこの時代にはミシンと言う言葉はなく縫道具としての言葉で

表現されていました

*ウィラー&ウィルソン社 
当時アメリカではシンガー社を上回る世界最大のミシンメーカーで
現在では当然の全回転式のカマで特許を得ていましたが1905年に
シンガー社に吸収されました。シンガー社はウィラー&ウィルソン社
吸収後には往復運動する船型ボビンから回転式のカマに移行して行く事と
なりシンガー社が大きく発展したのにはウィラー&ウィルソン社の
技術が大きく関与されていました。

             

この記事のみを表示するQUILT VILLAGE展

キルト展























今日は以前からご案内を頂いていた名古屋を中心に活躍されている

キルターさんたちの最新作 未発表のキルト作品が拝見できるとの事で

午後からになってしまいましたが、ショップからすぐ近くの会場となる

愛知芸術文化センターにでかけてきました。


午後からは天候も良くなってきましたので、会場に隣接されるオアシス21

にも立ち寄ってきました

オアシス21屋上となる水の宇宙船ではガラスの大屋根の上面に薄くベール

のように水が流れ、ガラス状の園路となる地上14mの空中散歩が楽しめ

ました~

水の宇宙船の下にあたる緑の大地は、名古屋中心地のくつろぎと憩いの場と

しての素敵な空間となっています。なだらかな芝生の斜面を通り抜けると

今回のキルト展会場となる愛知芸術文化センター2階につながっていました。


とてもいいロケーションでのキルト展会場で作品展示のフロアーとなる

アートスペースギャラリーもキルト作品をゆったりと拝見させて頂ける

広い空間での素敵な会場となっていました。

今回は未発表の最新作作品の展示となっていましたので、写真は一部許可

をもらい撮らせて頂きましたが、どれも素晴らしい作品ばかりで

今回はほとんどがミシンテク二ック満載のミシンキルトの作品となっていました

是非会場でとても素晴らしい作品をご覧下さい♪ ☆☆☆☆☆です~~